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 審査員/美術評論家 美術ジャーナリスト:藤田一人 講評

現代美術家 多摩美術大学教授:海老塚耕一講評  画家 多摩美術大学教授:岡村桂三郎講評

    希薄な現状に手応えを求める

     21世紀も十年を経過した今年、日本の美術状況を通観していくと、それまでのオタク的キャラ調の作品が影を潜める一方、ささやかな日常の一コマを優しく捉えた、情緒的私小説というべき世界が目に付く。そうした作品は主に具象で、柔らかい色彩と筆致が技巧的に整った、軽やかな印象を与える。ただ、表現自体が実に表層的で、対象の内側には決して入り込まない、いや、入り込めないとでもいうような刹那さを感じるのだ。それについて、「一種のマニエリスムと言うんじゃないですかね?」とある美術評論家に問うと、「今の若い作家にとって、マニエリスム以外にどんな表現方法があるのかしら?」という答え。確かに、世の中の核心を掴むことが出来ず、触れ動く現状に漂うだけの現代人にとって、何を表現するかと問われても、非常に空虚な現実を技巧的かつ表層的に捉えざるを得ないというのだろうか。
     第二十回を迎えたARTBOX大賞展の応募作品も、そうした傾向から逃れることは出来ない。そんななか、一体どんな基準で作品を選んでいけばいいのか。確かに、流行の私小説的具象はそれなりに目を惹く。その表層感に今日の日本人の空気が反映されていることは確かだろう。が、それで本当にいいのか?という疑問も膨らむ。では、私自身としては、一体どんな作品をいま押すべきかとなると、やはり現状を表層的に捉える一種の逃避的世界よりも、良くも悪くも、自分の目の前に展開される様々な問題に、率直に力強く立ち向かってくような強靭な表現への意欲、自身のあり様を追い求める執着のようなものが大切ではないか。そんな意識の下にファイル審査を通った入選者の作品(各4点)を見ていくと、現状に抗しつつ、独自の世界を切り開こうとする才能も感じられる。ただ、今回の入選作品全体を通観すると、圧倒的な印象を与えるものがなく、結果的にはグランプリは挙げられず、代わりに準グランプリをこれまでより増やすことになった。そして準グランプリ受賞者には、各々今日の日本美術の可能性と課題が反映されている。

     今回の準グランプリの中で、まず強い印象を受けたのが林聖。中国は上海出身の今年23歳。未だ来日して間もない若い中国人画家が描く、深く暗い背景から不思議に浮かび上がる灰汁の強い男の姿は、現代社会の課題を抱え込みつつ、それを飲み込んでしまっているような、不思議な雰囲気を醸し出す。例えば「ウィスキーロックを注文した男」は、オンザロックのウィスキーグラスを前に、やぶ睨み状態で頭を抱えているのだが、丸い氷が口元に浮いている。一般的に考えれば、何かに悩み、この世の中に嫌気が差して、何もかもを忘れるための悲しい酒というところだろうが、そこからはじめじめとした心の葛藤のようなものは感じられない。丸い氷にユーモラスな軽さがあり、オンザロックを一杯引っ掛けさえすれば、何もかもスッキリと忘れてリセットできる。そんなさっぱりとした空気を漂わせる。それには、今日の中国人の現実感が反映されているのだろうか。例え、暗い現状にありながら、それでも現実を悲観しない。林聖の作品に込められた、貪欲かつ強靭な現実肯定の意識こそ、いまの日本と日本人に欠落しているものであるのだろう。

     また、桂典子の丸い目と大きく裂けた口をした食材キャラクターが、様々な料理に息づく不思議な世界もインパクトが強い表現。単に画面が強烈なのではなく、後を引くようなムードがある。ジャガイモや鰻重になった鰻、様々な野菜が煮込まれたカレー等々。食材はどれもニタッと笑ってこちらを見ている。それが不気味でもあるが、どこか愛嬌も感じる。そこに食の安全や食糧の大量消費、大量破棄といった今日的問題が込められているとも言える。が、正直なところ、そんな堅苦しい主張があるとは思えない。作品自体は比較的暗い色調で描かれているにもかかわらず、全体の印象は陽気。「カレーライス」に描かれるカレーに煮込まれた食材たちには、これから食べられるというような悲壮感はない。ほんの数分先の未来など想像もせず、仲間達とじゃれあっているように見えてくる。ただ、その無邪気さのなかに刹那さが漂うのは、いまの日本の若者の感性というべきだろうか。

     一方、最初に挙げた今日的傾向というべき、淡い色調と柔らかい筆致を駆使した作品には、やはり“いま”を感じさせる時代の空気のようなものが漲っている。今回もササキ永利子と齊藤千尋という二人の女性の出品作が内容的に纏まっていた。
     齊藤は作品の完成度、色彩のこなれという意味では今回の出品者のなかでも随一と言ってもよかった。特に、「天体観測」と題された、寝袋に入った二人組みが準備万端期待の天体ショーを心待ちにする情景は、柔らかい色彩と形態と相俟って、心和む親しみやすい日常的世界観を醸し出す。ただ、その実態となると、掴もうとするとスーッと消えてしまいそうな、捉えどころのなさが、昨今の日本の若者のどこか不安で刹那な心境を反映しているようだ。こうした心地いい表層的絵画観を、日本人の優しさというべきか、素直さというべきか。
     それに比べて、ササキの目鼻口が描かれず表情のない女性像は、一層等身大と素直な表現とも言える。パステル調の柔らかい色彩と淡い形態で表現したその作品は、日々生活してはいるのだけれどどこか捉えどころの無い、不安な心境も湛えているようだ。服を脱ぎながら倒れこんでいる女性の姿や、ネグリジェ姿で顔を少々火照らせたような女性像等、どれも自画像のように感じられ、混沌とした自身の日常生活を少しでも実感のあるものとして捉えようとする、現状に対するささやかな抵抗を感じなくはない。

     そうした今日的な日常的心情の発露に対して、金子絵里の版画作品には一種の爽快感がある。明快な色彩と強い線による、華やかな装飾性と軽快な動きが相俟ったファンタジックな活劇をイメージさせる。これといって先が見通せない現状だからこそ、こうした表現が求められることは確かだろう。

     ところで、今回の公募のテーマは「あなたが表現する現代美術」ということで、従来どおり“絵画”を対象にはしつつも、“現代美術”という多様な表現方法や感性を主催者は求めていたともいえる。そんななか、オブジェ的絵画というか、一画面で完結したタブローではなく、全体的な感性の流れに注目する作品も幾つか目に付いた。
     日比谷泰一郎のコラージュを駆使した作品郡は、平面インスタレーションの習作のようにも見えた。だからだろうか、出品作品のみでは表現が荒削りで、テーマももう一つ伝わり難い。それでも何か不思議なパワーが感じられ、受賞記念展での展開への期待が入賞へと繋がった。ここに敢えて“現代美術”なる今回のテーマの趣旨が込められたといってもいいだろう。

     その他、受賞を逃しはしたが、寺村結衣の心地いい情緒的画面は最後まで議論の対象であったし、小山篤の機械的タッチの描線を重ねたシステマティックな人物描写や浅野綾花自身と自身を取り巻く街の空間を表現した版画作品にも落とし難い魅力があった。

     それでも、全体を通して感じたのは「これだ!」という表現の確信といえるものの希薄さだ。一体自分は如何なる現実を目の前にして、何を考え、何に向っていこうとしているのか。混沌とした世の中だからこそ、表現なる者に求められるのは、ほんの微かにでも現実の手応えを探り出すことにある。「現代美術」という言葉を掲げる以上、その模索はあらゆる美術家に求められる。勿論、同コンクールも例外ではない。


ART BOX大賞展事務局